森八

森八のお菓子

森八の伝統銘菓

大藩加賀の歴史とともに400年。森八の伝統名菓でございます。

長生殿

“長生殿は往昔白色長方形に胡麻をふりかけしものなりしが後水尾帝これを叡覧ましまして「田の面に落つる雁のやう」と宣ひしより落雁と名付そめにけり、其後利常公(加賀藩前田家三代藩主)の創意により、唐墨の形にまなび、小堀遠州卿これに長生殿と題し給ふ、これ墨形長生殿の始となす。その後渦型、ねじ梅、糸巻、鱗鶴、末広、青梅波など次々にうまれ、雲上に召されしこと屡々(しばしば)なりしかばいつしか御所落雁とも称ふるに至れり そもそも長生殿は家伝の精粉と、昔ながらの製法になる高価にして無類極上なる四国特産の純和三盆糖とをもて製し、彩るに本紅を用ひたれば、高尚優雅にして永く蓄蔵に耐へ、日本名菓の随一と感賞せらるること昔も今も変わることなし。ここに縁起と光栄のあらましをしるし、猶いやましの御愛顧をねがひまつる”

と店主敬白上は篆書体による「長生殿」の三字で現在の長生殿の型となっております。これは加賀百万石、三代藩主前田利常公の創意により、茶道遠州流の始祖、小堀遠州卿の書と申し伝えられております。
※販売時期:通年

長生殿生〆

一般の乾燥させた「長生殿とは異なり、打ち上げた直後の蜜を含んだ柔らかい状態を乾燥させずにすぐに密封包装したものです。古来加賀金沢での茶会などに珍重されてきたもので、フワリとした口溶けと豊かな風味がお楽しみ頂けます。
※販売時期:通年

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千歳

森八の伝統名菓「千歳」は、古くは「千歳鮓」と称し、加賀の一向宗徒の兵糧にその起源を発するものでございます。十六世紀、森八家の始祖「亀田大隅(かめだおおすみ)」は加賀金沢付近の一向宗徒を治め、その武勇と信望から後に藩祖前田利家公配下の武将として召しかかえられ、さらに、加賀が前田家の治世に移った後は、その遺子宗兵衛が金沢城下にて寛永二年(一六二五年)に菓子業を創始したのが加賀藩御用菓子司森八の始まりでございます。大隅の時代には、餅の間に小豆の塩餡をはさんだだけの兵糧も、平和な治世を百万石の富の中でしだいにその姿を変え、製法には贅を尽くしながらも何代にもわたり改良を重ね、姿形も雅やかな祝菓として円熟を見せて参りました。即ち、家伝の蒸餡を求肥にて包み、富士の山形となし、本紅にて染め分けた紅白の和三盆糖をふりかけ「紅きは旭日の瑞相を表わし白きは鶴の毛衣を像る」と賞される今日の「千歳」の完成を見たのでございます。ごのような歴史から、森八では四百年後の今日も、始祖亀田大隅の遺徳を偲び、一つ一つ心を込めた手作りにてこの「千歳鮓」を作り続けております。「千歳鮓」は森八の商標登録です。
※販売時期:通年

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黒羊羹

加賀金沢の地に伏流する名水により自然に醸し出される家伝「黒羊羹」の典雅なる色艶は、かつて加賀藩士の紋服に用いられた黒梅染め(くろめぞめ)の高貴になぞえられ、幾百年の歳月を経て今日に伝えられております。原料の選別、蜜漬け、炊き上げ、練り、流し込みに至るまですべて熟練職人の手仕事のみによって作り上げ、最後は一本一本丁寧に竹皮に包み上げるまで三昼夜を要するこの極上羊羹「玄」は、伝統の技の精髄を極めた羊羹職人入魂の逸品にして凡そ羊羹作りの最高峰に位置するものと自負いたしております。
※販売時期:通年

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